断崖絶壁からのカウントダウン中【LP2026丙午】

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崖から落ちそうな団塊世代さん、団塊ネクストさん、こんにちは。
今日も回路が、まるで秘密の回廊みたいに迷宮化しているようですね。

このブログは、現場のカオスと仲良くしながら、
根性論ではなく「理解」「再現性」「可視化」で
その混沌をそっと手なずける場所です。

回路設計の国際化や設計思想を、
ふわっと読めて、断崖絶壁からでも一歩踏み出せるようにお届けします。

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おつかれさまでした・・・

ワレワレハ、

気合と根性でがんばってきました。

だが、しかし、こんな時代は終焉に向かっています。

なぜって 効率がとてつもなく悪い

ことが大衆にばれてしまったからなので~す。

というか この業界、自分じゃできないことを

出来るふりして若手に無茶ぶりする老害が多数でした。

                        (結構ひどいことさらっというねぇ・・・・)

国家資格とかなくても業務出来る
内容だと業種の混沌化が進むよね

本当にカオスだよね

こんな風に変わりませんか?・時代の流れには逆らえません。

【仕事が楽しいんです】と若手に言わせれるように

日々、昔に観たアニメの一節が思い浮かびます・・・・・

🧩 アニメ:攻殻機動隊の中で「技術分岐点を誤ったケース」を語る一節より 寓話作成こころみる

義体化初期の失敗 → ラダー依存の限界

昭和の技術者たちは、鉄と油の匂いの中で生きていた。

彼らは言った。

「図面は手で引け。制御はラダーで書け。
人間の感覚に近いのが一番なんだ」

昭和の工場は、
経験”と“己の勘”が支配する世界だった。

ラダーは、彼らにとって義体のようなものだった。
不完全でも、粗削りでも、
自分の手足の延長として扱える“身体”だった。

だが、その義体は個人専用だった。
他人が触れば壊れる。
図面も、配線も、ラダーも、
その人だけが理解できる身体だった。

平成になると、義体は巨大化し始めた。

設備は複雑化し、
ラダーは階層を失い、
ネットワークは絡み合い、
誰も全体を把握できなくなった。

ある若手が言った。

「これ、どこを触ればいいんですか」

昭和の技術者は答えた。

「触るな。壊れる

平成の工場は、


**“属人化という後遺症”**に苦しみ始めた。

ラダー義体は限界を迎えていた。


だが、誰もそれを捨てられなかった。


昭和の身体を捨てることは、
自分の歴史を否定するように感じたからだ。

そして令和。技術分岐点は、静かに訪れた。

令和の技術者たちは、
昭和の身体性も、平成の混乱も知っている。

彼らは言う。

ラダーは使う。でも、ラダー“だけ”にはしない」

IEC 61131-3 の

  • 構造化テキスト
  • ファンクションブロック
  • 明確なインターフェース
  • 再利用可能なモジュール

それらは、
**“世代を超えて使える義体”**だった。

昭和のように個人専用ではなく、
平成のように巨大化して崩壊することもない。

令和の義体は、
人が変わっても動き続ける身体だった。

技術とは、世代をつなぐ義体である。

昭和の技術者が残した“身体感覚”は、
令和の標準化の中にも息づいている。

平成の混乱は、
「なぜ標準化が必要なのか」を教えてくれた。

そして令和の技術者は、
過去を否定するのではなく、
過去を継承しながら未来の身体を選ぶ

荒巻が言いそうな言葉で締めるなら、こうだ。

技術分岐点で誤るな
その選択は、お前たちの孫の身体になる」

「技術分岐点で迷うのは、悪いことじゃない。
迷える者だけが、未来の身体を選べる」

じゃがのぅ、己の選択だから

覚悟するのじゃ

🧩 文化の継承と更新-令和の技術者の詩[パソコン編]

昭和の文化は、 PC-9801 の筐体の奥で、 静かに脈を打っていた。

独自の文字、 独自の回路、 独自のやり方。

それは、 その時代を支えた者たちの 手の温度を宿した文化だった。

ラダーの階段もまた、 同じ時代の息遣いを持っていた。 誰かの思考が、 そのまま形になったような線の連なり。

文化は、 いつもその時代に最適で、 いつも少しだけ重い。

平成になると、 文化はそのまま大きくなり、 やがて自分の重さに気づき始めた。

互換性の壁。 属人化の影。 更新されないまま積み上がった記憶。

文化は強い。 だからこそ、 更新の時に重くなる。

令和の技術者は、 その重さを知っている。 同時に、その価値も知っている。

文化は否定しない。 文化は捨てない。

ただ、 未来に渡すには、 少し形を変える必要がある。

PC の世界が DOS/V 互換機へ移ったように、 制御の世界も IEC 61131-3 へ静かに移っていく。

それは革命ではなく、 文化の自然な呼吸だ。

文化は、 守るだけでは続かない。 捨てるだけでは残らない。

文化は、 受け継ぎながら、 静かに更新されていく。

令和の技術者がしているのは、 ただその営みの一部を担うこと。

大きな声も、 劇的な物語もいらない。

文化はいつも、 淡々と、 次の形へ移っていく。

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