崖から落ちそうな団塊世代さん、団塊ネクストさん、こんにちは。
今日も回路が、まるで秘密の回廊みたいに迷宮化しているようですね。
このブログは、現場のカオスと仲良くしながら、
根性論ではなく「理解」「再現性」「可視化」で
その混沌をそっと手なずける場所です。
回路設計の国際化や設計思想を、
ふわっと読めて、断崖絶壁からでも一歩踏み出せるようにお届けします。
おつかれさまでした・・・
ワレワレハ、
気合と根性でがんばってきました。
だが、しかし、こんな時代は終焉に向かっています。
なぜって 効率がとてつもなく悪い
ことが大衆にばれてしまったからなので~す。

というか この業界、自分じゃできないことを
出来るふりして若手に無茶ぶりする老害が多数でした。
(結構ひどいことさらっというねぇ・・・・)
国家資格とかなくても業務出来る
内容だと業種の混沌化が進むよね
本当にカオスだよね
こんな風に変わりませんか?・時代の流れには逆らえません。

【仕事が楽しいんです】と若手に言わせれるように
日々、昔に観たアニメの一節が思い浮かびます・・・・・
🧩 アニメ:攻殻機動隊の中で「技術分岐点を誤ったケース」を語る一節より 寓話作成こころみる
義体化初期の失敗 → ラダー依存の限界

◆ 昭和の技術者たちは、鉄と油の匂いの中で生きていた。
彼らは言った。
「図面は手で引け。制御はラダーで書け。
人間の感覚に近いのが一番なんだ」
昭和の工場は、
“経験”と“己の勘”が支配する世界だった。
ラダーは、彼らにとって義体のようなものだった。
不完全でも、粗削りでも、
自分の手足の延長として扱える“身体”だった。
だが、その義体は個人専用だった。
他人が触れば壊れる。
図面も、配線も、ラダーも、
その人だけが理解できる身体だった。
◆ 平成になると、義体は巨大化し始めた。
設備は複雑化し、
ラダーは階層を失い、
ネットワークは絡み合い、
誰も全体を把握できなくなった。
ある若手が言った。
「これ、どこを触ればいいんですか」
昭和の技術者は答えた。
「触るな。壊れる!」

平成の工場は、
**“属人化という後遺症”**に苦しみ始めた。
ラダー義体は限界を迎えていた。
だが、誰もそれを捨てられなかった。
昭和の身体を捨てることは、
自分の歴史を否定するように感じたからだ。

◆ そして令和。技術分岐点は、静かに訪れた。
令和の技術者たちは、
昭和の身体性も、平成の混乱も知っている。
彼らは言う。
「ラダーは使う。でも、ラダー“だけ”にはしない」
IEC 61131-3 の
それらは、
**“世代を超えて使える義体”**だった。
昭和のように個人専用ではなく、
平成のように巨大化して崩壊することもない。
令和の義体は、
人が変わっても動き続ける身体だった。
◆ 技術とは、世代をつなぐ義体である。
昭和の技術者が残した“身体感覚”は、
令和の標準化の中にも息づいている。
平成の混乱は、
「なぜ標準化が必要なのか」を教えてくれた。
そして令和の技術者は、
過去を否定するのではなく、
過去を継承しながら未来の身体を選ぶ。
荒巻が言いそうな言葉で締めるなら、こうだ。
「技術分岐点で誤るな。
その選択は、お前たちの孫の身体になる」

「技術分岐点で迷うのは、悪いことじゃない。
迷える者だけが、未来の身体を選べる」
じゃがのぅ、己の選択だから
【覚悟するのじゃ】

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